アイマスvsラブライブにみるアイドル像
出張でJR三島駅近辺へ約1ヶ月ほど滞在しました。
郊外らしい屋根の低い建物が並び、それでも街並みは小綺麗で都会の喧騒を離れた自適な生活を期待させました、、、が、都会の生活に慣れた筆者にとっては、最寄りに大型の書店が無いことは耐え難いことでした。BOOKOFF ならあったのですが。
それはさておき、ファンの方はよくご存じのことでしょう。三島駅の南には「ラブライブ!サンシャイン!!」の舞台となった沼津、内浦の町があります。

写真の水門は聖地巡礼地としても有名らしく、地域に根差す作品としては「たまゆら」を彷彿とさせるものを感じました。
さて、いきなりラブライブ!を話題に挙げたのはもちろん、アイドルの話をするためです。アイドルとは何なのか?どう付き合っていくのか?自分なりの答えを求めました。
取り組み背景
アイドルのイメージ
アイドル、と聞いてイメージするものは何でしょう?
「歌、ダンス、テレビ、 派手な衣装、etc.」
テレビなんて時代遅れ等々ご指摘あるとは思いますが、筆者にはこのようなイメージがありました。というのも筆者はこれまで、アイドルに全く興味がありませんでした (元 SMAP のメンバーは 2 人しか言えませんし、そもそも何人組?)。とはいえ、アイドルの存在が誰かの助けになっている、勇気を与える存在になっていることについては理解がありました。それは、アイドルでないにしろ、筆者自身が kalafina の音楽に励まされ、NHK のドキュメンタリー番組に日々のモチベーションをもらっていたからです。
ここでまず 1 つ疑問が生まれます。どうしてアイドルに興味が持てなかったのでしょうか?その理由は、偶然その機会に恵まれなかっただけなのでしょうか?
アイドルとの出会い
縁もゆかりもなかったアイドルに触れるきっかけとなったのが、「THE IDOLM@STER」(以後 アイマス) のアニメを視聴したことでした。
765 プロという芸能事務所に所属する新人アイドルたちが、新人プロデューサーのもとで一人前のアイドルへ成長していくという物語。アイドルという仕事を扱うことから、「花咲くいろは」や「SHIROBAKO」のようなお仕事アニメとして楽しめました。そのまま調子に乗って「ぷちます! -プチ・アイドルマスター-」「アイドルマスター シンデレラガールズ」(以降デレマス)とシリーズを視聴したわけですが、その次に視聴した「ラブライブ!」シリーズで、ある違和感を覚えました。
「彼女たちって、一体誰のアイドルなんだろう?」
ラブライブ!に感じた違和感
ラブライブ!シリーズは 2010 年に始まったアイドルキャラクターの企画で、アニメ、漫画、ゲーム、音楽などなど、10 年以上経過した現在でも幅広く展開されているシリーズです。シリーズに共通する概念として「スクールアイドル」があり、学校を舞台に部活動としてアイドル活動を行う学生(主に女子学生)を描いています。筆者が視聴したアニメ版には 2021 年 5 月現在で「ラブライブ!(2013, 2014)」「ラブライブ!サンシャイン!! (2016, 2017)」 「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 (2020)」(以後それぞれ、ラブライブ!、サンシャイン、ニジガク) があります。違和感の発端は、無印であるラブライブ!でした。

(C) 2013 プロジェクトラブライブ!
第 1 話「叶え!私たちの夢――」より引用
物語は、母校が廃校になると知った主人公らが、スクールアイドルの活動を通して学校の知名度を上げ、廃校を阻止しようとするというもの。その具体案が、スクールアイドルの全国大会である「ラブライブ!」(以後、作品名との区別のため ラブライブ!大会) に出場して優勝を勝ち取ることであり、その過程が描かれています。
感じた違和感は、ファンの扱い について。アイドルにとってファンとは、自分を承認し応援をもらう存在であり、同時に自分の魅力を伝えるお客さんと考えます。事実、作中でラブライブ!大会への出場および勝敗を決定するのはネットや現場の投票であり、ファンの存在がアイドルを評価する指標になっていることが窺えます。
この構造自体は、ファン数がゲーム上の重要な要素になっているアイマスについても言えることと思いますが、ここで問題とするのはアイドル側の姿勢です。アイマスでは作中でファンへの言及が多くあります(1*。対してラブライブ!では、ファンへの言及はあるものの非常に少なく、加えて、勝つためにファンが必要!というニュアンスの発言が多く見受けられます。(もちろん、にこ先輩の「いい?アイドルっていうのは笑顔を見せる仕事じゃない、笑顔にさせる仕事なの!」(ラブライブ!第1期5話) のように、ファンの存在を強く意識した発言もあります。) ファンの存在が自分たちを次のステージへ進めているにも関わらず、それに対する言及が少ない。彼女たちにとってファンとは、大会におけるルールの 1 つにすぎないのでしょうか?ならば、彼女たちをアイドルせしめているものは何なのでしょうか?
(1* アニメ版序盤ではほとんどなく、中盤から次第にお客さん →ファンのみんなと呼称を変えて言及が増えていきます。
アイドルとは何か?
第一の問題として、アイドルとは何なのでしょうか?文献を参考にしながら、現代のアイドル像について考えてみます。
アイドルの語源
アイドルの語源はラテン語の “idolum"、およびそこから生まれた英語である “idol" とされ [1]、「偶像」あるいは「虚構」という意味を持ちます。もっと良い言葉で表現すれば、「羨望」や「憧憬」でしょうか。つまり、アイドルとは本来、私たちの日常に無いものを持った、尊敬や崇拝される存在を指す言葉であるということです。
スターとアイドルの違い
アイドルに近い言葉としてスターがあります。共に有名人という観点で、○○界のスター/アイドルと表現されることがありますが、その違いはどこにあるのでしょうか。平岡 正明 氏によると、日本におけるアイドルは、「青春スター」「可愛い子ちゃん歌手」などの言葉と合流して、1970 年代半ばに定着したものとされています [2]。つまり、アイドルは 1960 年代までスターという言葉に含まれていたのです。
1960 年代、白黒テレビの普及率は決して高いものではなく [3]、テレビの中の人は非日常の中にある存在でした。しかし、1970 年代に入るとテレビは一般的なものとなり、人々の日常に浸透していきます。すると、テレビには「日常の中のちょっとした非日常」[4] が求められるようになり、アイドルはスターとは異なる日常に近い存在として、テレビ文化の中で成立したと考えられます。これは、1970 年代初頭の「新三人娘」として知られる天地真理と小柳ルミ子のデビューが、お茶の間の番組として有名な NHK の朝の連続テレビ小説であることからもわかります [5]。
これはつまり、スターとアイドルでは求められている要素が異なることを示しています。西 兼志 氏は著書の中で、スターは「過去」を体現するのに対し、アイドルは「未来」を体現するものであると紹介しています [6]。これが意味することは、スターは「過去」の積み重ねによって完成された実力(演技力・歌唱力など)による カリスマ性 がその源泉であるのに対して、アイドルは未熟な状態から「未来」へ向かっての 成長 にその源泉があるということです。
自身の成長への意識変化
日本におけるアイドルが定着した 1970 年代を代表するアイドルの 1 人が山口百恵であり、彼女の引退と松田聖子のデビューが行われた 1980 年が、日本におけるアイドルの 1 つの節目であるとされています。それは、アイドルにおける自身の成長への意識変化にあります。
自身の成長に伴って表現される「アイドルらしさ」とは裏腹に、アイドルは成長することでアイドルらしからぬ存在(例えばスター)になってしまうジレンマを抱えています。「アイドルらしさ」を現実に体現しようとした山口百恵にとって、「アイドルらしさ」は自身の成長に依存しているものであり、いわば時間制限があるものでした。一方で、松田聖子は「アイドルらしさ」を演技として表現し、自身の成長と切り離して扱うことによって、自身の成長と「アイドルらしさ」のジレンマを解消しています。そしてファンもまた、「松田聖子は実在するアイドルである」という幻想に対して距離を置いていたため、結婚という「アイドルらしさ」からはタブーなイベントを経てなお、松田聖子はアイドルであり続けることができたとされます。
アイドルらしさ
まず、「アイドルらしさ」とは何でしょうか?香月 孝史 氏は 1980 年代のアイドルに代表される 操り人形としてのアイドル が「アイドルらしさ」であると述べています [7]。そして、アイドルに対して想像する歌やダンス、笑顔といった要素は、現在でもこの「アイドルらしさ」というステレオイメージによって作られているものであるとされます。筆者のアイドルに対するイメージもまた、この「アイドルらしさ」が参照されていると言えます。
アイドルを演じるということ
次に、松田聖子が行った、自身の成長と「アイドルらしさ」を切り離すということについて考えます。一見するとこれは、アイドルから成長の要素を取り払うことと思われるかもしれません。しかし実際には、「成長しないアイドル」の演技が成熟するという成長が見られることになります。ファンは、松田聖子が演じる「成長しないアイドル」に熱狂するのではなく、それを音楽を通じて演じる松田聖子本人の演技と、その成長に熱狂するのです。
一方で、この演技はあくまでもプロダクションやプロデューサーなどの意図を反映したものであり、アイドル本人の自意識からは乖離したものでした [8]。この実情こそが、上で紹介した操り人形として定着している「アイドルらしさ」にほかなりません。1990 年代以降、アイドルにおけるテレビの影響力が減少することにより、現代のアイドルは自意識によって自ら演技を選び取るようになります [9]。
アイドルらしさに代わるもの
アイドル像(=「成長しないアイドル」)として「アイドルらしさ」を求められた 1980 年代に対して、現代のアイドルにとっての「アイドルらしさ」とは、アイドル像の 1 つの選択肢に過ぎません。1970 年代に回帰するもの、「アイドルらしからぬ」をウリにするもの等々、多種多様なアイドル像に分散する中で、香月 孝史 氏は現代アイドルの共通項としてパーソナリティの発露を挙げています。
今日、アイドルの「生身」が享受されるようなありかたは「現場」を通して、また様々なメディアを通して無数に看取できる。いうなれば、アイドルの自意識、より広く表現すればアイドルのパーソナリティが享受対象となることーーそれが今日の「アイドル」というジャンル内の共通項なのかもしれない。
[10]
ここで「生身」とは、演技のうちに染み出してしまう演者たるアイドルの個性 [11]、「現場」とは、アイドルとファンが相互的に往還する場(例えばライブ会場やSNS) [12] を指します。
また、現代におけるアイドルの主流がグループアイドルであることに着目し、パーソナリティとグループの人間関係について斎藤 環 氏はキャラという言葉を用いて以下のように述べています。
一見「性格」と同義語にもみえるが、必ずしもそうではない。というのも、性格という言葉には個人のなかになにがしかの本質があると思われているが、「キャラ」は本質とは無関係や「役割」にすぎないからだ。つまり、ある人間関係やグループの内部において、その個人の立ち位置を示す座標が「キャラ」なのである。それゆえ所属する集団や関係性が変わると、キャラも変わってしまうことがよくある。
[13]
ここでキャラとは集団、特にアイドル同士の人間関係における役割とされています。1990 年代、2000 年代を代表するアイドルである モーニング娘。や AKB48 がグループアイドルであることの利点として、ある種閉鎖的なグループの中でキャラ形成を積極的に行うことができ、卒業や組閣といったグループの流動性でもって、アイドルの新たなキャラ(=パーソナリティ)を垣間見ることができるという点があります。
一方で、「アイドルらしさ」の中核的要素である歌とダンスは、現代のアイドルにおいても広く用いられています。この点について 香月 孝史 氏は、「アイドルらしさ」というステレオイメージが社会に強く根付いていることが、アイドルを理解するための基盤となっていることを取り上げ、以下のように述べています。
同時に忘れてはならないのは、「楽曲よりもアイドル」こそが受け手を強く引き付けるにせよ、その体験は、アイドルの基本的な上演形式である楽曲やダンスを中心としたパフォーマンスと不可分であることだ。(中略) 今日「アイドル」というジャンルの成員になるための要件は、自らをアイドルと位置づける名乗りであり、また歌やダンスを活動内容としていることである。後者は見栄えとして「アイドル」の体裁を成り立たせるものだが、それ以上に、歌やダンスによるパフォーマンスがアイドルの身体によって上演されること、そして上演される場としての「現場」が存在することが、アイドルが享受されるうえで必要不可欠なものなのだ。
[14]
現代におけるアイドルは、自らのアイドル像を自意識によって選び取り、ファンとの交流の場である「現場」を通して、自らのパーソナリティを提供していることになります。
仮想世界のアイドル
1980 年代のアイドル現象を論じた社会学者である 稲増 龍夫 氏は、松田聖子以後の 1990 年代のアイドルが虚構の中でのみ活動する存在として、以下のように議論を展開しています。
しかし、極端な話、彼女たちが本当は人間ではなくて、たとえば完璧なロボットやサイボーグであったとして、何が問題があるというのだろうか。つまり、CDを聴き、コンサートに行き、写真集やTVでその姿を見る、これらのどこに、生身の人間でなければならない必然性があるのだろうか。
[15]
そしてその例として、芳賀ゆいを挙げています。彼女は 1990 年に伊集院 光 氏のラジオ番組中で生まれた全く実在しない仮想アイドルであり、それにも関わらず CD や写真集が発売されてしまった虚構としてのアイドルの究極の形であるとしています。
仮想世界のアイドルの特徴として、アイドルのパーソナリティについてファンが多く関与することができる点があります。仮想の存在である彼ら・彼女らは生身の人間に対してキャラが記号化しやすく、間を補うような多くのパーソナリティが、ファンとの交流の中で生まれることになるためです。これは、二次創作のなかで深いキャラ付けが行われていくアニメキャラにも同様に言えることです。
その面において、2007 年に登場した初音ミクもまた、仮想世界を代表するアイドルと言えます。初音ミクの場合、キャラクターデザインと声を担当する声優は決定されていました。一方で、彼女が歌う歌やその表現は、ソフトの購入者たるユーザーに委ねられています。いわばアイドルをプロデュースするように、初音ミクに歌わせる、MMD(MikuMikuDance) を用いて踊らせるといった行為をユーザーが体験することができ、その結果は ニコニコ動画 などの動画共有サイトを用いて、ファンの間で共有されました。それらが合わさって最終的に初音ミクという 1 つのパーソナリティが出来上がっていく過程、つまり、生身の人間とは異なるキャラクターとしての成長を、ファンは作り手として体験することができたのです。
アイドルの本質
半世紀に及ぶアイドルをめぐる流れの中で一貫していたのは、アイドルは未来志向であるということです。本文で 成長 として言及されたそれは、アイドルが未完成であることを示し、ファンは完成に至るその過程を共有し応援することを楽しむのです [16]。
「アイドルらしさ」に含まれるものの 1 つに、アイドル能力 [17] があります。この能力は、アイドルであるという過去の蓄積から構造化される、アイドルとしての振る舞いの傾向を指します。例えば、突発的に困難な状況が示された場合でも、ポジティプに、視聴者に希望を持たせる回答をすることができるか?というものです。つまるところ、この能力はアイドルの未来志向、つまり、今を共有する私たちに未来への希望を示すものとなります。
流動化した社会では、新しい状況に臨むことが常態になり、その都度、みずからの振る舞いを–「自己責任」の名のもとに–決定していかなければなりません。<アイドル>という存在は、このような状況に日々置かれたわたしたちに、前向きな姿勢で臨むことを教えてくれているのです。そして、それによってこそ、<アイドル>は、憧れや勇気を与えてくれる存在となるわけです。
[18]
アイマス vs ラブライブ!
この章では、筆者がラブライブ!に感じた違和感を解消するため、アイマスとラブライブ!の違いについて述べていきます。(ネタバレありなので要注意)
モチーフにする年代
まずは、アイマスとラブライブ!がそれぞれ題材にしているアイドル像について考えてみます。アイマスがモチーフにしているのは 1980 年代のアイドル像であると考えられます。これは、アイドルの 1 人である如月千早のモデルが中森明菜であること [19](2*、楽曲の一部において、作詞のキーワードとして松田聖子および中森明菜の名前が挙がっていたこと [20] から想像に難くありません。また、アイドルたちは同じ事務所に所属こそしているものの、基本的にはソロで活動しているという点も、かつてのアイドルを彷彿とさせます。一方でラブライブ!がモチーフにしているのは現代に近い(少なくとも 1990 年以降)アイドル像と考えられます。部活動であるスクールアイドルは、アイドルであることを「選ぶ」ことにより成立しています。一方で、1980 年代のアイドルは芸能事務所やテレビ局によって「選ばれる」存在であり、アイドルであることを「選ぶ」存在となったのは、テレビをはじめとしたメディアがアイドルの主戦場でなくなった 1990 年以降のことです [21]。同時期、スクールアイドルと比較される地下アイドルもまた、ライブハウスを主戦場とする「選ぶ」アイドルとして 1992 年ごろに誕生しています [22]。以上のように、アイマスとラブライブ!では、単純にアイドルといってもそのアイドル像が異なることがわかります。もちろん、デレマスのアイドルである安部菜々が地下アイドルであったことに言及したり [23] と、その年代のアイドル像に必ずしも忠実なわけではありませんが、ベースとなっているアイドル像が異なることは間違いないでしょう。
(2* 如月千早のモデルとして山口百恵の名前が挙がることがありますが、中森明菜と山口百恵の繋がりを考えると納得できる点も多くあります。共にアイドル「歌手」であることに拘りを持ち、性的な早熟さが強調された楽曲を歌う路線(青い性路線)を歩みました [24]。中森明菜がデビューをかけて『スター誕生!』で歌った楽曲が山口百恵の「夢先案内人」であったこともそうですが、アイマス的に青の系譜とでもいえるような流れを感じることができます。
お仕事アイドルとスクールアイドル
次に、アイマスとラブライブ!の最もわかりやすい違いである、お仕事アイドルとスクールアイドルの違いについて考えていきます。一言で言えばプロとアマということですが、これを野球に例えて、「アイマスは弱小球団が日本シリーズで優勝を目指す話、ラブライブは廃部寸前の野球部が甲子園優勝を目指す話」[25] という見方があります。この例えは言い得て妙であり、プロかアマかという議論に加えて、アイドルとしての活動時間に関する議論も可能にします。この例が示すお仕事アイドルとスクールアイドルの違いについてまとめてみます。
甲子園に見るスクールアイドル
スクールアイドルがお仕事アイドルでも地下アイドルでもない点は、学校に帰属しているという点です。これは、活動の基盤を持つという意味においてはお仕事アイドルに近いものですが、一方で、学校という場は「卒業」が明確に規定されるという特徴において他 2 つと大きく異なります。スクールアイドルである条件には「高校生である」というものがあり、つまるところ、ラブライブ!大会への出場は最大 3 年間しか行うことができないことが明確とされています(3*。この時間制限があるという点は、1970 年代に代表される、アイドル像を現実に体現するという点に近しいものがあります。
同様に、高校時代 3 年間しか出場できない全国大会に甲子園があり、太田 省一 氏はこの甲子園にアイドルの原点のようなものを見たと述べています。
無得点が続くこの試合から目が離せなくなったのは、選手達が個々の場面で示す、捨身のプレーであった。(中略) 逆にいえばそれは、若者にのみ許された特権である。その捨て身のプレーがもたらす高揚感は、次の瞬間にはもう失われてしまうかもしれないという切迫感によって、いっそう得がたいものになっている。
[26]
時に学校の行く末をかけて、学校の期待を背負ってアイドルに取り組む彼女らの、若さ故に許容されるある種無謀な挑戦だからこそ、ラブライブ!のアイドルたちは甲子園を目指す球児に例えられ、時代を共有する同年代のファンを多く獲得できたのかもしれません。
(3* 無印およびサンシャインの主人公たる高坂穂乃果と高海千歌がともに高校 2 年生、ここに 1 年生の後輩と 3 年生の先輩が合流してグループを形成しています。そのため、 3 年生の卒業を避けることができず、実際には、固定されたメンバーにおける活動が 1 年間に限定されていることがわかります。
プロ野球に見るお仕事アイドル
対するお仕事アイドルは、芸能事務所などに「選ばれる」アイドルであるという点、そして理論上の時間制限がないという点で、スクールアイドルや地下アイドルと差別化できそうです。お仕事アイドルには 3 年間という制約がなく、松田聖子のように数十年にわたってアイドルを続けることが可能となります。一方で、時間制限があることに起因するカタルシスを得ることは叶わず、お仕事アイドルに甲子園的な要素を見出すことは困難です。代わりに強調されるのが 文脈 です。
文脈とは、一言で言えば歴史もしくは背景との繋がりのことです。誰が、いつ、どこで、何を、なぜ、どのように、といった 1 つ 1 つの要因の意味を考え、事実の裏にあるものを共有して楽しみます。例えば、デビューソングを歌うにしても、それを「10 周年の場で」「当時より増えたメンバーで」「当時は失敗したダンスとともに」歌うことで、アイドルの成長物語が出来上がります。これは、年を追うごとに質も量も増すものであるからこそ、比較的長い期間アイドルとして活動するお仕事アイドルにおいて重要視されるものと考えます。
プロ野球においても同様です。高校球児と異なり、プロ野球選手には年間 120 とも 140 ともいえる「現場=試合」が用意され、その多くをファンは球場やテレビによって観戦することができます。そこで生まれる「ヒット」や「奪三振」は選手の輝きであり、それが積み重なって日本シリーズ優勝という悲願が達成されます。そして、それに至る長い経緯があり、それをファンが共有しているからこそ、1 つの勝利が非常に大きな意味(=背景)を持つのです。
(巨人 vs 阪神といえば、対戦成績が互角でないにも関わらず「伝統の一戦」と呼ばれます [27]。これも、プロ野球初期の巨人、阪神の 2 強時代を反映したものとされており、文脈性が現れていると言えます。)
終わる物語、終わらない物語
スクールアイドルとお仕事アイドルの違いにおいて示したように、スクールアイドルには時間制限がありますが、お仕事アイドルにはありません。この違いは、アイマスとラブライブ!の物語においても同様に語られています。
ラブライブ!において印象的であったのが無印第 2 期 11 話。μ’s の今後について悩むアイドルたちの姿が描かれており、次の本大会がグループとしての最後であることが明確に示されていました。一方で高坂穂乃果は「アイドルは続ける」と言います。確かに、当時まだ彼女は高校 2 年生であり、次年度もスクールアイドルとして活動することができます。しかし、その活動は描かれることなく物語は終了します。この点から、ラブライブ!がグループの物語であることがわかります。キャッチフレーズが「みんなで叶える物語」[28]であることもそれを補強しています。ラブライブ!の物語は、登場人物の学年に関係なく、μ’s の終了と同時に終わる物語なのです。
対するアイマスでは、「全員まとめてトップアイドル」というプロデューサーの目標のもとにアイドル活動が行われ、事実上の続編である劇場版では、トップアイドルとして成長したアイドルたちが描かれます [29]。しかし、そこで 765 プロは終わりません。むしろ、劇場版のエピローグでは、デレマスや アイドルマスター ミリオンライブ! (以降ミリマス) のキャラを登場させるなど、今後の広がりを思わせる演出がなされました。劇場版のサブタイトル通り、「輝き(=トップアイドル)の向こう側」が意識されています。この点から、アイマスは 765 プロの終わらない物語であると言えます。
ファンとプロデューサーの存在
アイドルにおいてファンは欠かせないものであり、これに加えアイマスにはプロデューサーという立場の人物が登場します。ここでは、これらアイドルたちの周囲の人々とその関係について考察してみます。
プロデューサーの有無
ラブライブ!の特徴の 1 つとして、男性キャラターの存在感が圧倒的に低いということがあり、これは、自分たちでステージを作り上げていくということの現れであると考えられます。お仕事アイドルのアイマスでは衣装も楽曲も所属事務所が発注するもの、つまるところ与えられるものです。この事務所とアイドルの関係が純化したものが、上で述べた操り人形としてのアイドルというわけです。対してラブライブ!では、アイドルが自ら衣装を作り、作曲を行います。プロデューサーを含む年長の男性は、アイドルたちを操る事務所の象徴であり(4*、それが排除された「私たち」の物語であるということを示しているのではないでしょうか。
(4* 「アイドルらしさ」の元となる 1980 年代、特に 80 年代前半は、男女雇用機会均等法 (1986 年施行) 前であり、いわゆる男性社会です。事務所の意向とはつまり、年長男性の意向に他ならないのです。
一方でアイマスには、プロデューサーが登場します。しかしそれは、アイドルたちが操り人形であることを象徴するものではなく、アイマスにおける主人公がプロデューサーであるためです(5*。アイマスにおけるアイドルの成長とは、プロデューサーやアイドルとのコミュニケーションのうちにあるものであり [30]、アニメ版においてもそれは変わらないということです。
(5* アイマスの総合プロデューサーである坂上 陽三 氏によると、アニメ版は例外としてアイドル側が主人公となっています [31]。
ファンとアイドルの関係性
続いてファンについて考えます。アイマスもラブライブ!も、身内(学校の生徒やプロデューサー)のファンを除けば、作中でその存在が深く掘り下げられてはいません。しかし、第 1 章でも述べたように、アイドル側のファンに対する意識としては、その違いを考えることができます。
ラブライブ!においてファンへの言及が少ない理由として、アイドルにおける競技性があるように思います。彼女らがラブライブ!大会を目指すのは母校の廃校阻止のためですが、実際には本大会出場前にその目標は達成されてしまいます。そのため、その後の本大会優勝までの流れにある動機は、「私たちらしく輝きたい」という彼女たち自身のものであると考えられます。
競技としてのアイドルパフォーマンスであるラブライブ!大会はその性質上、アイドルを順位付けし評価を与えます。つまり、「私たちが誰よりも輝いている」という裏付けを得ることができます。そのため、そこには同じ目的を持ったライバルが集い、それらに「勝つ」ことを強く意識するようになります。その中でファンは、自分たちが誰よりも輝いていることの証人でしかないのです。
しかしながら、ここでの主張は、アイドルに勝敗の概念を持ち込むこと自体に異議を申し立てるものではありません。なぜなら、ファン側もまた、自分たちが証人たることを前提としていると考えられるからです。この構図は、野球、サッカー、その他多くのスポーツ競技に当てはまるように思います。私たちがスポーツ観戦をする時に選手に期待するものは、ファンサービスの前に全力プレーの試合ではないでしょうか。私たちは「勝ち」を目指す選手を応援し、「今日も輝いていたぞ!」とエールを送るのではないでしょうか。その中においてファンたる私たちは、選手のサポーターであり、共演者ではないのです。
ラブライブ!についてもこれが当てはまるのではないでしょうか。作中でアイドルたちがファンへほとんど言及しないのは、来たる舞台で自分自身を輝かせてくれるのはあくまでも自分たちであり、ファンもまた、「アイドルが自分自身を誰よりも輝かせようとしている姿」を求めているからです。だからこそ、アイドルたちのパフォーマンスは「自分らしさ」が重要視され、その姿が高く評価されるのです。
(ラブライブ!がスポ根アニメと称されることがありますが、それは、ここで述べたようなアイドルの精神性にも理由があるのではないのでしょうか。)
対してアイマスでは、共演者としてのファンの姿を見ることができます。これは、アイドルにおける競技性が低い環境であるためであると考えられます。彼女らが目指す「トップアイドル」の姿もまた「輝いている」存在であることは間違いありませんが、明確に勝ち負けのない環境において、その輝きを証明してくれるものは何でしょうか?それは、ファンによる承認であると考えます。「私たちはファンのみんなに求められている」という感覚が、彼女たちの輝きを証明し、アイドルとしての居場所を与えるのではないでしょうか。そしてそのとき、アイドルの意識は「勝ち」ではなくファンへ向かいます(6*。アイドルは勇気や憧れをファンへ与え、ファンはそんなアイドルを承認し応援する、そのような双方向のコミュニケーションが現場で行われるのです。そのため、ファンはアイドルの現場における共演者であり、アイドルたちは最高のステージにするためにファンを意識するのです。
(6* ラブライブ!シリーズにおいても、ラブライブ!第 2 期 1 話の高坂穂乃果のセリフやニジガク第 11 話の投書箱など、競技への意識が低い状態ではファンへの意識が高まっている描写があります。
団結のあり方について
アイマスもラブライブ!も、グループや事務所内における仲間との団結が大事な要素の 1 つになっています。最後に、それぞれの作品における団結の姿について考えてみます。
グループ活動を行うラブライブ!において、チーム内の団結は不可欠なものです。第 1 期 10 話の合宿や第 2 期 5 話のような小グループの物語はチームの団結を扱う作品において定番です。第 1 期 6 話のようなリーダー決めもそうでしょうか。ここで注目すべきは、全員で同じ目標に向かっている ということです。同じ目標や問題に「みんなで一緒に」立ち向かうのがラブライブ!における団結です。
対するアイマスにおいては、最終目標は皆等しく「トップアイドル」ですが、その具体的なものや到達するための道筋はアイドルごとに様々です。アイマス 15 周年記念曲である『なんどでも笑おう』の歌詞には、
(前略) 道はそれぞれ違うけれど
目的地はきっと一緒なんだ (後略)
[32]
とあります。つまり、それぞれが別々に同じ目標に向かっている (7*。それは、アニメ版の終盤で、アイドルたちが全員で活動するシーンが少ないことからも明らかです。そこで生まれる団結は、「みんなで一緒」であることを信じるというもの。それぞれが一緒であることを努力し、それを互いに確信し合うことで生まれる団結です。
(7* アイマスにおける目標は「トップアイドル」ですが、目的地は「ステージ」です。これは、アイドルマスター ミリオンライブ! シアターデイズ (以降ミリシタ) のメインコミュ [33] や、シリーズ 15 周年記念PV(第 3 弾) [34] においても確認できます。
結論
以上の議論を元に、第 1 章で挙げた問題について回答を示します。
アイドルとは何か?
第 2 章で述べたように、アイドルとは 未来志向を体現する存在 です。これを具体的に表現すると、「若さ」を武器にその成長を魅せる存在とも言えます。ただし、その「若さ」とは身体的な若さに限らず、むしろ精神的な若さを対象にします。(精神年齢が幼いという意味ではなく、いつまでも若くあろうとする精神性。)
一方で、個々のアイドルを特徴付けるのは個々のキャラ(あるいはパーソナリティ) であり、現代において主流であるグループアイドルのうちにある、そのアイドルが持つ役割を示すものでした。そして、そのキャラが歌やダンスといったアイドルパフォーマンスのうちに表現されることで、ファンはアイドルを承認することができるのでした。
加えて、初音ミクに代表される仮想アイドルは、アイドルにおいて物理的な身体が本質的でないことを示しました。一方で、年齢をとらないという性質上、成長はそのキャラクターの成熟によって行われ、ファンは作り手としてより多くのことを体験できるのでした。
ラブライブ!に感じた違和感の正体
第 1 章では、ファンの扱いという点で違和感を感じていました。その要因は、第 3 章で述べたように、アイドルにおける競技性の違い であると考えられました。アイドルにとってファンは自分たちの「輝き」を承認する存在ですが、そのファンが求めているアイドルの姿が、競技性の違いによって異なるのでした。
競技性の高いラブライブ!においては、ひたむきにトップを目指す姿、競技性の低いアイマスにおいては、勇気を与えてくれる姿が求められ、そのうちにファンはそれぞれ支持者(サポーター)および共演者として存在するのでした。筆者が感じた違和感とは、アイドルと競技が混同したラブライブ!の世界観を十分に理解できていなかったために生じたものでした。逆に言えば、「アイドルらしさ」はそれだけアイドルを理解しやすくしているとも言えます。
どうしてアイドルに興味が持てなかったのか
筆者がこれまでアイドルに興味が持てなかった理由として 2 つ考えられます。
まず 1 つが、アイドルは低俗なものであるという先入観 です。学校でも職場でも「アイドルが好き」と公言することは他の趣味に比べると躊躇してしまうと思いますし、それを自己アピールにしようものなら、念入りな説明が必要でしょう。アイドルに対するこのような印象は、アイドル活動そのものが大人の腹黒い商売の道具、つまり虚構の産物に過ぎなかったという事実であったり [35] 、歌やダンスといったパフォーマンスが、それらを専門に行う人々に対して質で劣るということが原因であると考えられます。アイドルついてほとんど知らないのであれば、よりこのような先入観によって近づき難いものとなるでしょう。
ですが、前者は商売として当然のことですし、後者にいたっては的外れです。第 2 章で述べたように、アイドルにとって歌やダンスは、自分がアイドルであるということを示す形式的な側面が強く、それらのパフォーマンスのうちに現れるパーソナリティこそがアイドルにおける自己主張点です。もちろん、歌やダンスの質をウリとするのであれば十分に質を高める必要があると思いますが、これらの質がアイドルの質(=アイドル能力)と直接結びつくものではないと考えます。今回の活動を通して、これらの先入観を取り除くことができました。
2 つ目が、自分の中にある世界観 です。アイドルが披露するパーソナリティとは、その人の世界観であるとも言えます。アイドルには疑似恋愛や狂信的な信仰といった側面があり、それらはその人の人生に大きく影響することになります。しかし、筆者の場合はそこに自分の世界がありますので、アイドルの存在がそれほど大きなものにはなりません(8*。いわば、自分自身の中にすでに理想のアイドル像があるという状態です。
(8* ヲタク気質の筆者ですが、なぜかグッズ類には収集意欲が湧きません。これは、グッズ類がその人を表すという点から、自分オリジナルのものが良いというわがままのためです。これもある意味で、外の世界観への反発なのかもしれません。
アイドルとどう付き合っていくか
アイドルの条件が未来志向であるならば、未来志向的なものはアイドルとしての役割を果たすものと思います。筆者にとってそれが、第 1 章で述べた kalafina の音楽や NHK のドキュメンタリー番組であったということです。どうしてそれらが筆者にとってアイドル的であったのか?それはやはり、世界観が近しい ということなのだと思います。自分が日々のうちに感じている日常のちょっと希望的な未来をそれらが表現してくれているということです。
ならば、未来志向の権化たるアイドルとどう付き合っていくのか?基本的な点は上で述べた通りであり、世界観が近しいアイドルがいれば、私はその方のファンとなる可能性があります。何とも釈然としないのは承知しておりますが、今回の活動の最も大きな成果は、普段テレビなどで目にしつつも全く知らぬ・存ぜぬであったアイドルについて 文脈としての理解を得たこと にあります。
筆者が感じたアイドルのわかり難さを象徴するものは、上に挙げた負の先入観と、文脈性です [36]。普段私たちが目にする機会が多いアイドルとはやはり、テレビなどで活躍するメジャーアイドルであり、お仕事アイドルです。歌って踊ってる姿を観てアイドルであることを読み取ることはできても、その場面で何が起きているのか?を読み取ることは非常に難しく思います。スポーツ競技同様、「よくわからないけど、なんかすごい」に終わってしまう。一方で、日本におけるアイドル全体の背景を知っていることは、個々のアイドルについて文脈を得ることは難しくとも、その理解を大きく助けてくれます。今後、アイドルをその背景からの文脈として見ることができますし、Vtuber など新しく訪れているアイドル現象について考察することができます。そしていずれ、タレントや映画スターなど、関連する事柄を扱う際の基盤となることは間違いないでしょう。
補章) アイマスにおけるライブと声優
この活動を通して、筆者もそこそこアイマスに詳しくなり(文献の偏りからおおよそ予想がつきますが)、声優さんがわからないと言っていたのも過去の話になりつつあります。それだけアイマスにおける声優さんとは、単純な「声の人」以上の役割を果たしています。補章として、アイマスにおけるライブと声優さんについて私見を述べたいと思います。
アイマスの声優陣は、ライブイベントを前提として選出が行われたわけではありません [37]。それでいて、初音ミクのライブのように、キャラクターの映像表現を主としたライブが行われるわけでもありません(9*。声優さんが直接舞台へ上がります。歌の紹介に用いられるテロップには担当するアイドル名ではなく声優さんの名前が表示されます。どのような意図があるのでしょうか?
(9* アイマスにおいても THE IDOLM@STER MR ST@GE!! MUSIC♪GROOVE☆ のように複合現実 (Mixed Rality : MR) を用いたライブが行われた実績がありますが、2021 年現在ではまだ主流ではありません。
アイマスの基本はゲームであり、プレイヤーの役割はプロデューサー兼ファンです。この点は、ファンにおける二重の視線(愛着と批判) [38] のうち批判的な視線を強く反映し、ファンが自らのプロデュースについて饒舌になること [8] を可能したと言えます。そこには、プレイヤーごとにアイドルとの物語があり、アイドルには、プレイヤーや他のアイドルとの人間関係のうちにキャラが生まれます。加えて、仮想アイドルである彼女たちには絶対と言えるキャラが実在しないため、ニコニコ動画などの二次創作的なキャラ付けによって、アイドルのキャラが公式の意図しない方向に発展するきらいもあります。アイマスのアニメ化には、製作陣や声優さんら、ファンの間でキャラを一致させるという目的もありました [31, 39]。
その中でライブは、アイドルのキャラを共有する場所 であると考えます。声優さんのファンは別として、アイマスのライブは基本的に「アイドル」のライブであり、声優さんらを直接意味しません。しかし、アイドルのライブを実現できるのは声優さんだけであり、アイドルは声優さんを仮託してライブを行うのです(10*。このライブにおいてステージ上の声優さんに求められることは、アイドルを解釈し、上演すること。アイドルによる実演としてではなく、声優さんによる再現として行われるのが、声優さんによるライブの形式と考えます(11*。このような、アイドルとシンクロしたライブパフォーマンスのうちに、ファンはアイドルの姿を見つけることができます。そして、ファンは演じられたアイドルの姿を承認して声優さんへ声援をおくる、つまり、声優さんとファンの間で、アイドルのキャラが相互に確認されるのです。
そしてこの体験は、アイマスにおいてもう 1 つの意味を持ちます。プロデューサーとしてアイドルと触れ合ってきたファンにとってこのライブは、自らのアイドルとの物語を追体験することに他なりません。これが、アイマスにとってライブこそが聖地であるとされる所以です [40]。声優さんの「プロデューサーのみなさん!」というセリフには、プロデューサーとしてライブに挑み、アイドルのライブを共に成功させようという意味が込められているのかもしれません。
(10* 声優さんがアイドルを演じるという形式に注目すると、松田聖子のアイドルを演じるという形式に近しいことがわかります。この 2 つの最大の違いは、若さの主体が歌であるか、キャラクターであるかです [41]。
(11* 歌のテロップが声優名であることも、ライブ自体がアイドルの実演ではなく再現を目的としていることを考えると納得できます。
後記
ふいに観たアイマスアニメから始まったアイドルの議論もかれこれ 3 ヶ月以上 (2月末より6月中旬) が経過してしまいました。この期間で個々のアイドルを掘り下げた理解を得ることは難しく、表面的な議論となってしまったことは反省せざるを得ません。(アイドルの歴史は半世紀と述べましたが、江戸から明治にかけて娘義太夫という現代アイドルの原型となった芸能があったとか [42]。) 歌って踊るだけのアイドルじゃないことを実感しました。
3 月末、アイドル論関連本を大方読み終えた段階で、芸能人格付けチェックを視聴する機会がありました。そこには、AKB48 のメンバーである 柏木 由紀 氏が参加していました。なぜ彼女に注目したかというと、香月 孝史 氏の著書『「アイドル」の読み方 -混乱する「語り」を問う-』に彼女のインタビューが引用されており [43]、彼女が持つアイドル像について前提知識がある状態における邂逅であったためです。「アイドルらしさ」を志向する彼女が司会者とのやりとりの中で「ア、、、アイドルですよ?」とたじろぎ気味に答えた姿からは、「アイドルらしさ」というよりも、彼女のパーソナリティを読み取ることができたように思います。アイドル論の活動は完成前に早くも日の目を見たこととなります。
5 月下旬には、活動の総決算として、THE IDOLM@STER MILLION LIVE! 7thLIVE Q@MP FLYER!!! Reburn のライブビューイングに参加しました。これまでアイマスについては全てが時間的に遅れた状態でした。ライブへの参加は、テレビ的一致 [44] とも言えるアイドルとファンの間にある意識のリアルタイムにおける一致を実現するものであり、アイドルの未来指向性を直接読み取ることができると期待されたためです。実際のところ、不安定な天候の中で披露されたライブにはその可能性を大いに感じましたが、背景の理解が不足しており、十分な成果は得られませんでした。アイマスがアイドルを理解し難いその典型例の 1 つであることを実感しました。
それにしても、Flyers!!! の歌詞はストレートながらミリシタにおけるアイドル観を見事に表現してますね。文脈がなせる技だと思いますし、好きなアイドル曲になりました。
参考文献
- 安西信一 : 『ももクロの美学 – <わけのわからなさ> の秘密』, 2013 年, p. 168.
- 平岡正明 : 『「菩薩」以降 – アイドルをさがせ』, 1985 年, 朝日ジャーナル.
- 帝国書院 : 『耐久消費財の世帯普及率の変化』, https://www.teikokushoin.co.jp/statistics/history_civics/index13.html
- 稲増龍夫 : 『増補 アイドル工学』, 1993 年, p. 40.
- 西兼志 : 『アイドル/メディア論講義』, 2017 年, p. 85.
- 太田省一 : 『アイドル進化論 南沙織から初音ミク、AKB48まで』, 2011 年, pp. 26–27.
- 香月孝史 : 『「アイドル」の読み方 -混乱する「語り」を問う-』, 2014 年, p. 102.
- 同書, p. 83.
- 同書, pp. 88–90.
- 同書, p. 103.
- さやわか : 『今日的「アイドル」が示すものとは?』「美術手帖」2012 年 11 月号, p. 103.
- 前掲『「アイドル」の読み方 -混乱する「語り」を問う-』, p. 138.
- 斎藤環 : 『「AKB48」キャラ消費の進化論』, 2010 年, p. 166.
- 前掲『「アイドル」の読み方 -混乱する「語り」を問う-』, p. 135.
- 前掲『増補 アイドル工学』, p. 247.
- 姫乃たま : 『職業としての地下アイドル』, 2017 年, p. 69.
- 前掲 : 『アイドル/メディア論講義』, p. 118.
- 同書, p. 120
- 今井麻美 : 今井麻美の Singer Song Gamer 【第120回】今井麻美のSSG:踊ってますか!?, https://www.famitsu.com/guc/blog/asami_ssg/9962.html
- michael : アイマスネタ覚書:千早の元ネタは『中森明菜』, http://michaelgoraku.blog22.fc2.com/blog-entry-813.html
- 前掲『「アイドル」の読み方 -混乱する「語り」を問う-』, pp. 90–94.
- 前掲『職業としての地下アイドル』
- 前掲『アイドル進化論 南沙織から初音ミク、AKB48まで』, p. 113.
- アイドルマスター シンデレラガールズ スターライトステージ [リンク先] : 安部菜々 メモリアルコミュ 1.
- gouzou :『アイマスとラブライブ!の違いについて本気で考えてみた(アニメのみ)』, https://ch.nicovideo.jp/gouzou/blomaga/ar610323
- 前掲『アイドル進化論 南沙織から初音ミク、AKB48まで』, p. 20.
- 巨人-阪神、通算2000試合 「伝統の一戦」巨人が節目飾る, https://mainichi.jp/articles/20210515/k00/00m/050/184000c
- 2013 プロジェクトラブライブ! – ラブライブ!Official Web Site, https://www.lovelive-anime.jp/otonokizaka/
- アニメ版『アイマス』錦織監督独占インタビュー! 劇場版BD/DVD発売決定の今だから話せた制作裏話や劇中での演出意図, https://dengekionline.com/elem/000/000/850/850983/
- アニメ『アイマス シンデレラガールズ』1stシーズンを振り返る。フィルムに隠された伏線と緻密な設定とは【周年連載】, https://dengekionline.com/elem/000/001/049/1049815/
- 『アイドルマスター』15周年記念開発スタッフインタビュー、小山順一朗氏×坂上陽三氏×中川浩二氏。プロジェクト誕生の経緯や15年間の思い出などを語る, https://www.famitsu.com/news/202008/29204772.html
- THE IDOLM@STER シリーズ15周年記念曲「なんどでも笑おう」視聴動画, https://www.youtube.com/watch?v=58oHUJimyns
- アイドルマスター ミリオンライブ! シアターデイズ [リンク先] : メインコミュ 第 30 話.
- シリーズ15周年記念PV 第3弾 【アイドルマスター】, https://www.youtube.com/watch?v=KS-xBX6ToEM, 3:07–3:12 において、それぞれのブランドを仮託するアイドルが、「15 年目のその先」にあるステージへ向かって走るという描写になっていると思われます。
- 前掲『増補 アイドル工学』, p. 25.
- 前掲『「アイドル」の読み方 -混乱する「語り」を問う-』, p. 18.
- 人気ゲーム「アイマス」 ユーザーに役割を負わせたのが成功の鍵, https://xtrend.nikkei.com/atcl/contents/watch/00013/01138/
- 前掲『アイドル進化論 南沙織から初音ミク、AKB48まで』, pp. 43–47.
- 『アイドルマスター』15周年記念インタビュー今井麻美さん(如月千早役)。「『アイドルマスター』は“やっぱりアイドルっていいよね”と思わせてくれる作品です」, https://www.famitsu.com/news/202008/31204676.html
- さやわか : 『"バーチャル"を"リアル"にする空間。』, BRUTUS 933, 2021 年 3 月 1 日号, p. 55.
- 前掲『アイドル進化論 南沙織から初音ミク、AKB48まで』, p. 200.
- 前掲『職業としての地下アイドル』
- 『柏木由紀 (AKB48) なんてったって一生アイドル宣言♡』, オリ★スタ 2011 年 9 月 5 日号, pp. 21–22.
- 前掲 : 『アイドル/メディア論講義』, p. 76.



ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません